SOUND IN ROPPONGI 2002

「大人の文化祭」

2002.12.14(火) 2:30-7:30
六本木 俳優座劇場

   

六本木ジャズクルージングもちっとは名前が売れてきました。発案者はAll of Me Clubのオーナー、金城純一です。はじめは6軒のライブハウスのオーナーと常連のお客の何人かが協力企画して始めたものです。第1回は1999年の2月の寒いときでした。つぎはコートの要らない時期にやろう!

一週間も続けたのです。開催前夜は「壮行会」、終了翌日は「打ち上げ」と賑やかでした。8日間もJazz漬けだったのです。延べ18件をクルージングしたお客さんがいたのです。毎晩3軒はしごです。それを月曜から土曜まで続けたということです。

今年になって金城さんは、次なる提案を出してきました。それぞれのライブハウスの中でやっているものを、一ヶ所に集めてやろうと言い出しました。

さらに、若いシンガーたちを集めてコーラスをやろうという話になり、わかGはお手伝いをすることになりました。数日の練習日を定めましたが、全員が揃ったのは当日のリハーサルでした。しかし、彼女たちは世話のかからない模範生徒たちでした。「六本木合唱団」という政界や財界の歌自慢を集めたコーラス隊がありますが、その向こうを張れるような女声ジャズ大コーラス隊"Roppongi Female Jazz Singers"が誕生したのです。第一、美女ぞろいです。



六本木 俳優座劇場

当日は土曜日の真昼間、こんな時間に六本木なんて歩いたことありますか?結構、閑散としているんです


Sound in Roppongi 2002 大看板

公演中なんて大げさですが悪い気はしません

ロビーの賑わい

会場のお客様の熱気

驚くなかれ、100名を越す出演者が、和やかなうちにも整然と熱のこもった演奏を行い、予定の時間をオーバーすることなく、プログラム最後まで出来たことは奇跡的なことといわねばなりません。司会者の石川 勝さん、佐藤 宏さんはもちろん、裏方の取り仕切り役、丸山さんはじめスタッフの皆さんの力でしょう。

 
 当日の出演者リストと曲目(別表) 
いくつかの場面をごらんにいれましょう。
暇があるのに来なかった人、残念ながら「大損をこえた」と思ってください。

 


Dixie All Stars

バンドのあるじはピアノの有福 隆
   


気功舞踊

珍しいものでしたがなかなかの迫力
   


井上 良 花岡詠二 & スイングショット

「娘が有名なもんですから…」
   


Manuela Sisters 大原江里子トリオ

マヌエラとは戦前に上海で社交界を席巻した実在ダンサー
 


The Oz Sons 大原江里子トリオ

オヤジのジャズコーラスは貴重品
 


The Lure 大原江里子トリオ

スタジオミュージシャン+ジャズ歌手
 


ペドロ梅村と仲間たち 寿永アリサ(vo)

野崎靖博(日刊スポーツ)はAll of Me Clubでもシャカシャカ
 


話題のStarlight Junction
藤田ゆうこグループ

ついにCDデビュー、応援団長はOZSONSのわかG
 


佐藤 宏(司会) 池貝正俊トリオ

昔の銀座・六本木・バンコックを股にかけたツワ者
 


石川 勝(司会) 池貝正俊トリオ

旦那衆といってもライブ出演、MC大好き
 


小林良一 池貝正俊トリオ

地元のジャズ大好き人間、甚平を着るオジンベイ
 


 折人こと鈴木英夫 池貝正俊トリオ

日米ジャズの歴史のオーソリティー


沢村まみ 池貝正俊トリオ

六本木旦那族の締めくくりは、あたし
 


楽屋の美女

Female Jazz Singersメンバーたち
 


新結成 Female Jazz Singers

指揮 栗本滋雄(OZ SONS),大原江里子(p),渡辺 猛(d),横山 裕(b)

・Sentimental Journey
・Christmas Medley(Joy to The World, White Christmas, The Christmas Song)

当イベントのために結成したジャズコーラス隊。大変に質の高いシンガーが揃いました。これを聴いて「私も入りたい」という申し出が当日にありました。図に乗らせてもらい、随時メンバーの増強をしていきたいと思います。希望者はご遠慮なく当合唱団のDirector,爵士樂堂主人若山(OZ SONS)までメールをください。

   


沢田靖司 山本 剛トリオ+ペドロ

沢チン63歳になるもこの頃元気
 


大矢江美 西川喬昭セプテット

沢チンの古い古い弟子、エル

笈田敏夫(大とり)  西川喬昭セプテット

司会:「年が明けると78歳になる」
笈田:「誰でも77歳の次は78歳」

このサマになる姿は
誰にも 真似できないでしょう

実際、どうやって写真を撮ってもサマになっているのです。こんな人いません。

ゲソさん、この歳になっても若いミュージシャンのバックでライブを続けています。なぜか?

「ライブに出るのは、噺家が寄席の高座に出るのと一緒、お金にはならなくても出ていないといけないのだ」

この哲学、わかりますか?ご立派です。

夢であった80歳のコンサートも、見えるところに来ているようです。


本サイトの制作者、OZ SONSの若Gは会場からの出入りが多くて写真を撮り損ねたものがあります。もちろん、自分たちのもありません。ご親切などなたか、ここに載っていない出演者の写真をデジカメで撮影された方は、若山まで添付してお送りくださいませんか?
早速、一枚いただきました。有難うございます。楽屋の美女の写真も送ってもらいました。


石田一美

Sound in Roppongi, 2002でよく働いてもらった一人、石田一美が1月のライブ活動の開始にあたって、新年の挨拶文を書いてお客様に配っています。わかGの手許にも回ってきました。普段は一人々々で歌うシンガーたちが、一つのコーラス隊という団体競技に参加して味わった素直な気持ちが書かれています。なにやら、嬉しいではありませんか。 2003.1.15

 皆様、新年明けましておめでとうございます。
昨年中はひとかたならぬお世話をいただき、本当にありがとうございました。
新しい年もすばらしい年となるよう、より一層の努力をしてまいりたいと決心しております。
 
 さて皆様、昨年暮の俳優座コンサートの折は、本当にお世話こなり、ありがとうございました。私にとって忘れがたい思い出になりました。
 御存知、ジャズクルージング主催のコンサートでしたが、いつも別々の店でやっているライブを「一つにまとめよう!」「参加者が一箇所に集まり、盛り上がろう!」という、言わばジャズクルージングの大集合でした。会場として選ばれたのは六本木の名所のひとつ、俳優座。
まるで「大人の文化祭!」でした。
 私は、開幕のナレーションをさせて頂き、また花岡詠二さんのバンドで歌わせて頂き、とっても光栄でした。そして、今回、私が特こ楽しかったのは「六本木シンガー」総勢30人あまりで作ったコーラス隊に参加させていただいたことです。そもそも、ヴォーカリストは個性の強い人が多い上に、30人も集まるのですから、ちょっと凄い光景が展開するのではないかと思っていました。どんなサウンドになるのか、自分のことも含めて、かなり不安でした。
 
 それにしても、30人のスケジュールが簡単に会うはずもなく、教習所の学科方式で何度もあるリハーサルに最低3回プラス必修1回に参加するシステムでした。それを聞いて、コーラス指導の先生の大変さが分かっていただけると思います。本当に先生のご苦労たるや頭が下がりました!!オージーサンズ(OZ SONS)の若山先生と栗本先生です。
 今回のリハーサルの中で素敵な事を沢山教えて頂きました。皆で気持ちを集めれば、頭の上の方で皆の声が一つに融けて響くんだという事、その気持ち良さを知ったら、コーラスがどんどん楽しくなりました。
 今回の30人の「六本木シンガー」には、ジャズだけでなくいろいろな分野の人がいて、プロもアマチュアもいましたけれど、皆さん呑み込みが早く、言われたことが直ぐ出来て、皆さん、流石だと思いました。
 心配するどころか、物凄くグッド!でした。八分休符のひとつひとつに気持ちを込めイントネーションを揃えて、心地よいハーモニーのなかで歌うことは普段と全く違うアプローチで、新しい境地を開いてもらった思いです。参加させていただいて本当に感謝しています。
 「集まる」ことの楽しさを実感できたコンサートでした。関係者の方々に、改めて感謝の意を表したいと思います。
 そして今月の一曲は、その時のレパートリーです。