沢村まみコンサート Me and My Soul

2011年5月30日(月) 草月ホール

故沢村美司子の妹の沢村まみは、自分のライブ活動とともに兄の作曲家中島安敏のもとでPAC音楽院で後進の指導にあたっています。

今年の5月30日に大きなコンサートを開くことになりました。この話が私のところに来たのは2月でしたか、まだ、東北の大地震がくる前のことです。バックコーラスに7人FJSから集めて欲しいとのリクエストがありました。

丁度、7名のメンバーが参加を望んでくれましたが、地震がきて辞退者が2名出ました。やむを得ず2人の穴を埋めて練習が始まりました。

FJSから6名、まみちゃんのお弟子さん1名が5曲に参加します。お時間の許す方は、応援に来て下さい。

←チラシをクリックで拡大

    

いいコンサートでした

きびきびとしたコンサートでした。司会者が駄目だとだらけます。
 


↑↑↑
ステージをセットしています。
始まる前に入れてもらいました。
あの白い布が綺麗になるから・・

これからで、少しキンチョウ?
みんな綺麗きれいしてもらいました。 


司会は鈴木治彦アナウンサー

7年前にオルフェアンズというお爺様フルバンドのディナー・パーティでOZ SONSがゲストで歌ったのですが、司会は治彦さんでした。肝心なことだけてきぱきと紹介する司会の鏡のような人でした。OZ SONSを上手に紹介してくれました。

それ以前に同じオルフェアンズのパーティで顰蹙ものの司会者が出てきたのです。自分から司会がやりたいと買って出たのですが、大事な出演者の氏名を大間違いしました。

それも、自分は間違えた意識はありません。単純な出演者調査確認準備不足のおバカです。それで、鈴木治彦さんを頼んだといういきさつがあります。事前に、治彦さんはOZ SONSから直接名前の読み方からいろいろな情報まで聞きあさりました。それをメモしておいて、どう喋るかを練っているのです。プロフェッショナルのアナウンサーは違います。いい加減にやったら頼まれなくなります。

顰蹙の司会といえば、最悪だったのは「世良譲追悼コンサート」でした。世良さん夫妻に大切にされたOZ SONSは素人で一組だけこの追悼コンサートに出ました。牧何とか言う結構有名な司会業らしいのですが、治彦さんとは対照的、余計なことをくちゃくちゃ喋って、1時間近く押してしまいました。ホテルに超過料金を主催者は支払ったはずです。

でも、治彦さんは旗照夫さんの4歳上とか言っていました。いい歳になってしまったのです。

旗さんは幾つかって?下に書いてある。下に。

 


今日のプロデューサー兼コンダクターは中島安敏

中島さんに会うのは、10何年振りでした。昔、西麻布にINDIGOというピアノサロンがあった頃です。この店に遊びに来て3人だったころのOZ SONSを聴いて、「君達はプロとは言わないが、アマチュアではない」と評しました。プロとアマの違いは何だか分かりますか?

病気だと聞いていたのですが、見たところはお元気そうでした。ご自分では「身体の中はぼろぼろ」と。中島さんは、ピーナッツ、西田佐知子、黛じゅん、山本リンダなどが歌ったポップ歌謡のヒット曲の作曲家です
 


バックのバンドは大西敏明セブンステット

このバンドは自分達のライブを聞かせるバンドではなく、こういうコンサートやパーティなどで演奏することを商売にしている出前バンドです。貴女の結婚式にでも来てくれますよ。
 


だんだんアップになります。
 

そう言っていたら急に赤い電気が点きました。
   


旗 照夫はわかGが小学校6年生の時にデビューしました。

らじお、てれびじょんの人気歌手でした。今年の12月、誕生日が来ると78歳だそうです。90まで歌うと言っています。声は少しも衰えていないどころか、昔よりよく出ます。わかGはおったまげました。今は鹿島に住んでいますが、以前は木更津でした。

サリナ・ジョーンズのライブを木更津の後輩の経営するホテルで12年前に開催した時、旗さんが聴きに来てくれました。

今夜、何十年ぶりに旗照夫、生の”Hush A Bye”を聴きました。
 


Finaleです。今夜歌った人たちは「沢村美司子音楽賞の受賞者」です。

由起 真は高橋伸寿、木津ジョージ、井上 良の4人でGlobal Fourというコーラスを始めたのが10年近く前です。木津ジョージはドリー・ベーカーの古い友達だった関係で仲良くしていますが、彼らのコーラスをわかGが聴くとジョージが恥ずかしがります。可笑しいでしょ。コーラスの話になると「お前達の方が上手い」と言って笑わせます。

井上 良は早見 優のお父さんですが、亡くなってしまったのでGlobal Fourは3人になってしまいました。それでも、解散せずにこの間も歌いました。トークは漫才以上でした。

由起さんは会ったばかりなので、「この間のコーラス、面白かったよ」「暮にまたやるから来てくれよな」「どーせ、ジョージからなんか言ってくるよ」。

西村 協も20年来の知り合いですが、銀座でポップスを歌っていました。もっと昔はフォークグループだとか。われわれオジサンたちがスタンダードなんか歌うので刺激されました。気がついたら、好んでジャズを歌うようになっていました。そういう歳になったと言うことです。この頃は、ジャズ歌手と呼ばれているようです。協さんとはDreamや今は無いボッカチオではよく会いました。時々、テレ朝通りの今は無いDOMINANTにわれわれに会いに遠征してきました。
 

終わって緊張がとけ、みんな「やれやれ」って顔しています。

お疲れ様でした。改めて打ち上げをやりましょう。

中島さんが「真剣に取り組んでくれた。有難かった」と喜んでいました。

そう言ってもらって、わかGは鼻高々でした。
 

    

編集後記:このステージの写真はストロボを使っていません。それに、立って撮りたかったので真ん中の一番後ろ、PAの脇から撮りました。今のデジカメの偉力に驚きです。コンサートではストロボはご法度ですし、静かなところではシャッター音もはばかります。(わかG・2011/5/30)
TOP
目的
規約
結成経緯
団員
活動
練習
レパートリー
教養
文集
BBS