子供の頃のわかGは変な少年

高校生時代から本格的な混声合唱を歌ってきました。毎年11月頃に行われる定期演奏会のメインの出し物は、宗教曲の大曲ばかりでした。大作曲家の書いたRequiemやミサ曲などが取り上げられました。われわれの音楽の先生は国立音大の出身で10代の子供であるわれわれにそういうクラシック曲を指導し教えてきました。われわれの先生は現在満87歳で今年米寿の祝いをやったばかりです。何かの会では必ず何曲か指揮をされます。

そんなクラシック漬けの息抜きにトリオやカルテットのグループを作り、Jazzやポピュラーソングを歌いました。われわれの先生は「そんな歌を歌うんじゃない」などとは一言も言いませんでした。学園祭ではもちろん、クリスマス会や卒業生歓送会などで余興に歌うのを面白そうに聴いてくれました。私たちはジャズ公認でした。器が大きい人でした。

どのくらい大きいかは、わかGが3年生のとき「若山は試験を受けなくてよい。免除だ」と言われたのです。それは、学校でテインパニーを買ったことがありました。ある日、突然、音楽室に2台のペダルティンパニーが置いてあります。先生は「若山、叩いてみろ」と言い、ベートーヴェンの第9の第4楽章のレコードをかけました。

わかGにとってはごく簡単なことです。太鼓は「ド」と「ソ」の音に調律してありました。1度、4度のハーモニーの時には「ド」を叩き、5度のハーモニーの時には「ソ」を叩くだけです。目をつぶっていても叩けます。高校1年生の時には既に楽典、和声学を読みましたし、ピアノやギターも簡単な歌なら譜面なんて要りません。コード進行が読めてしまいます。

と言うわけで、1節を叩き終えて教室は大拍手。先生は「来週はみんなにも叩いてもらうから」と言いました。楽器なんかやっている生徒は第9のスコアを買ってきました。それでティンパニーのパートを憶えて叩こうというわけです。

わかGは、準備も何もなく即興で初めてティンパーニーを叩き、音楽の成績は試験をやらなくても「A」がついてきました。

そんな高校生がクラシック音楽をやる傍らジャズやポップスのコーラスアレンジをして遊んでいたのです。学生時代のカルテットは20代の終わり頃までは続きましたが、家庭ができ、仕事が忙しくなり、海外に勤務するものも出てきて、解散となりました。

それからは暫く歌からは遠ざかりましたが、40代半ばにスタンダードや映画音楽などをソロで歌っていた時代があります。オージーサンズというグループで歌うようになったのは50代半ばです。

この30年くらいの間に歌った歌が沢山ありますが、その中の何曲かは録音が残っています。ソロの録音もありますが、コーラスの多重録音もあります。一人コーラスの元祖は2013年元旦に亡くなったPatti Pageです。次号からは、そんな歌の紹介をしていこうと思います。お楽しみに。

わかG 

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